なんか四季に一回しか更新してないアニメの論評者ぶったこのブログですが、4DX体験や、とあるキャスでのヲタク夜話みたいなものを経て、思うところがあったので更新なぞ久々にしてみようって事で。

まぁ難しい話はさて置き、最近のヲタク業界人の中で呪文のように口から衝いて出る言葉があるのをご存知だろうか?

そう

ガルパンはええぞ!!』

である。

評価する側の人間からして最大級の賛辞ではあるし、有無も言わさず感情が篭った非常に的確な評価であると私的には考えている。

でもこの言動だけ見ると他の一般人からは、

『まるで内容の評価をしていない』

『思考停止してるのではないか?』

『これだから最近のキモオタは・・・』

などという批判をされるのも事実。

実際『良い』という一言だけ使って評論として成り立たせるにはかなりの説得力を持たせなければいけないという一面もあるのは理解するし、本来はそうであって欲しいと願うものではあるが、百聞は一見にしかず、映画を見てみればまず口から出るのはこの言葉なのである。

その後、どこが良かっただの出てくる人もいる。
まぁミリオタだったり、音響ヲタだったり色々なジャンルの良かった点がそれぞれの口から紡がれていくことだろう。

閑話休題

4DXの話だ。

著者も上述のガルパンで初体験となったわけだが、その良かった点と悪かった点を考察してみようと思う。

4DXの良かった点
1:映画と視聴者の一体感が生まれる。
2:視覚効果以外の五感に働きかける演出が面白い。
3:程よく体の凝りがほぐれて、終った後体が少し楽になる気がする。

まず1についてだが、4DXのコンセプトとも言える。

4DXとはなんぞや?と思われている読者諸兄にはテーマパークにある映像一体型のアトラクションの類似物を想像していただけると分かりやすいと思う。

ガルパンスターウォーズであれば、乗り物が画面上で動いていると席がそれに連動して傾いたり、前後に倒れたりするといった感じだ。

それ以外にも、シーンに連動して席がいろいろと鳴動するので、のめり込みやすくなって一体感があると感じる人が多いそうである。

次に2について、シーンによって劇場にしかけられた機材からいろいろな効果が出ることに尽きる。
五感に訴えかける映画というコンセプトなのだから当然といえば当然なのだが、その方法が結構多岐にわたる。

あるシーンではシャボン玉が出て風呂の一時を演出してみたり、またあるシーンでは硝煙や炎上した演出をするため、スモークが焚かれたり、シーン毎に風が吹いたり、水滴が降ったりと皮膚や嗅覚からも映画を感じることが出来るのである。
面白い事この上ない。

最後に3だが、席の上でずっと映画を見ていると体が固まって終った後に伸びをしたりそもそも眠くなって途中で寝るなんて人も居るのではないだろうか?

席が鳴動するので、程よく体が動かされ、映画が終わった後の倦怠感をある程度改善してくれているというのが著者の雑感である。

ガルパンで感じたのは、機銃掃射シーンなどで肩周りの部分に入っているパタタタタと鳴動する機材が肩こりを軽減しているなというものではあるが、終わった後体が超絶楽だったの言うまでもない。

では、逆に悪かった点を挙げていこうと思う。

4DXの悪かった点
1:映画館の設備投資上の問題か需要に対して供給が少ない。
2:車酔いや光酔いする人間は基本的にNG。
3:初見で観るものではない。

まず1についてだが、最新設備な為、眼鏡一個でなんとかなってしまう3D上映とは違い、4DXが供給されるスクリーンは基本的に席数が少なめの館が多いように感じた。

というのも、当初著者は友人にチケット予約を依頼しEXPOの劇場で観ようと画策していたのだが、4DXシステムを組んでいたスクリーンの席数は50席規模だったようで、チケットの予約すらおぼつかないといった具合だったようである。

結局、次善策の枚方で120席の場所で観たのであるが、そこも3週目にも関わらず満員御礼だったところを見ると供給が追いついていないのは明らかである。

まぁ設備をみる限り、金もかかるし機材導入の障害になっているのだろう・・・。

次に2ついて。

先にも説明した通り、五感に訴える映画付きアトラクションである為、乗り物に弱い人間や過度に光情報に過敏な方は4DXの鑑賞は避けるべきだと考える。

基本的に席が鳴動する関係上、上映中の移動は出来ないためである。

上映中の暗い中、酔って足元もおぼつかないような状態になると怪我の危険性まであるので、その点これから鑑賞を予定されている読者で2の項目に当てはまる方は注意されたい。

一応それ以外にもNG設定されているのは、妊婦、心臓や首に障がいのある方、100cm未満の身長の方なども含まれている。

あと、NGの中に含まれていなくても体調の悪い方も4DXを鑑賞するのは控えるべきだと強く感じたので追記しておく。

詳しくは4DX鑑賞にあたっての注意などを検索すること。

最後に3についてだが、私見ではあるが初見が4DXであった場合、映画の内容より4DXへの興味が優り、映画の内容への集中力が散漫になるように感じる。

実際、著者は4DXを観る前に2Dのものを2回鑑賞している。

ちゃんと観たい作品であるなら、通常の2Dや3Dの物を先に鑑賞してから4DXに行くことを強く薦めるものである。


と、とりあえず枕として4DXの体験談を書いた訳だが、感想を一言述べるなら

ガルパンはええぞ!!でも、4DXのガルパンはもっとええぞ!!』

と言うことである。


さて、ここからが本題。

枕の話で『思考停止』という話が出てたのを覚えておられる読者さんは多いかと思う。

知り合いのツイキャスでのサブカルチャー談義を経て今著者が考えている話をしていこうと思う。

サブカルチャーと言っても多種多様、一括りにオタクと言っても多岐にわたる分野の人種で構成されているものなので、ここではアニメ業界周りの関連の話を自分の経験(レース畑や研究畑の話)も交えた感じで話を進めていくとしよう。

まず、アニメ業界の世間的変遷を引用を用いて簡単に

80's:アニメ分野のオタク黎明期。ガンダムマクロスなどの現在も続くようなスタイルの作品が世に出始める。
89:宮崎事件(概要はwiki参照/おたく差別の項目も参照すると詳しい)によるオタク文化への偏見が世論になる。
90's前半:VHSレンタルなどでアニメ文化が家庭に浸透していく。その一方でおたく差別の論調も広まっていく。
90's後半:エヴァンゲリオンが一大ムーブメントに。一部有名オタク論者によって偏見が緩和される。
00's:ラノベ原作が増え始めてオリジナル作品が減少傾向に。アニメの一作当たりのクール数が減少傾向に。
10's:業界破綻する兆候が見え始める。

とりあえずざっと変遷をまとめてみるとこんな感じである。

2000年代や2010年代にも宮崎事件に類した事件が起こり、各事件ごとにマスコミによる印象操作や偏見論調が広まったことは若い世代でも知るところだろう。

では次にアニメ作品内容と受け手側の反応の変遷だがこんな感じである。

80's:ガンダムマクロスなどの考察を軍事畑好きや政経好きの人間が始め、コミュニティが出来始める。絵師、作家畑の人間が同人活動をやったり、音楽畑の人間が受け手から作り手になる素地が出来ていく。
90's前半:オタク業界が前述の事件で日陰者扱いになり、社会的批判を浴び、反抗心から閉鎖的な人格形成を促進する。
90's後半:エヴァのムーブメント化や論者による情報開示で論調は少しずつ肯定的に。
00's:海外輸出戦略としてクールジャパンが打ち出されたことにより、サブカルチャーとしてアニメ文化を国策として世界的に。作品としてはセカイ系と呼ばれる作品が増える。ボーカロイドが市場に出たことにより、音楽畑の作り手が再び育つ土壌に。ニコニコ動画などに歌い手、踊り手などと一緒に世に出始める。
10's:消費専門のオタク、厄介勢と呼ばれる何も生み出さないどころか害悪になる人間が増え始める。作品としては日常系と十把一絡の使い捨て作品の浪費が横行する。


作品変遷からも見えてくるように、考える事の出来るオタク、作り出す側にもなることの出来たオタクから年を経ていくごとに、消費専門のオタクが増えていっていることが分かりやすいと思う。

どういう事かと言えば、考えるのをやめてアニメをただただ観る。つまり、部屋でBGMよろしくアニメを垂れ流す消費者が増えたのである。

ここらで、別の分野の話で似た思考停止の消費の例を挙げる。

実験畑で言えば、近年有名になったSTAP細胞で巷を賑わせた小保方晴子の博士号論文の事件がこれに近い。
早稲田大学の博士号論文や修士号論文を担当教授が一切読まずに通していたというのは有名な話である。
つまり、考えるのをやめる以前に消費すらしてないのである。

レース畑だと、結果を出している一部のレーサーを除いてシートは持参金(レーサー側がスポンサードマネーをチームに持ち込む)の多寡で決まっていたりする事が往々にしてある。
無名の若手が中堅クラスのドライバーをそういった理由で押しのけて入って来ているシーンをよく見かける。
ラップタイムが中堅クラスのドライバーより遅いにも関わらずである。
考えるのをやめているとしか思えない。

話は戻るが、最近のオタクは自分で考えて観るより、ネットで見たであろうレビューで先に帰着点を決めて観ているように見える。
著者もざっと観る十把一絡げのアニメを処理する時は上のような傾向が見えるので、人のことだとは言い切れない人間ではあるが、絶対に評論する際は一話以上観てから書くようにはしている。(尚、著者の場合体外は情報0の状態で観始めることが最近は増えているということも起因している。)

そして考えるのをやめていると言う話から広げていくなら、十把一絡げのラノベ原作を作る作り手側にも問題はあるように思う。
昨今円盤が売れるような土壌は無いに等しいにも関わらず、テンプレのような肌色成分多めのライトノベル原作バトルファンジー物やほのぼの系の四コマ原作の日常系が多いこと。
こんなものしか出回ってないので、視聴者は『考えるのをやめた』というより『考えることが出来なくなった』というべきだろう。
考えることが出来なくなるということは単純に言えば個性がなくなるということ。
よって作品を見ても「○☓はええぞ」としか言わなくなる奴が増えるのである。

そして、個性がなくなってつまらなくなった世界を著者はよく知っている。

何かと言えば、レース業界である。

コンピューター制御の下、1000分の1秒を争う世界なのだが、昔はエンジン音を聞くだけでどのドライバーか分かるというくらいの個性があったものだ。しかし今のドライバーはチームの車の特性がある部分である程度は分かるとはいえ、ほとんどが個性のない機械のような走りをしているように見える。
タイムに繋がっているので決して悪いとは言わないが、個性が薄いということは、見ていてつまらない要素の一つになるというのが著者の見解である。

つまらなくなるということは、基本的に業界が萎縮していく傾向にある前兆だと著者は考えている。

つまらないと感じるものを消費者は手に取らない。
誰も手に取らないものは市場から消え、忘れ去られていくといった具合で存在自体が無かったことになる。

それが今のアニメ業界、オタク業界の現状だということをこの間のツイキャスでも話をしていた。

そして、そこの放送主はこうも言っていた。

『作り手が減って消費者が増えるということは需要に対しての供給が足りなくなるということだ。』

サブカルは近い将来滅亡するだろう』

と。

国のコンテンツ輸出戦略でぶち上げた『クールジャパン』ではあるが、サブカルチャー部門全体がこのようなデススパイラルに陥っているように著者は思えてならないのである。

ちなみに、著者は日本の音楽コンテンツをJASRACと秋元が、アニメコンテンツを広告代理店と考えなしにばらまかれ消費するだけの人間(作り手も含め)が衰退させたものだと思っている。

現状を確認した上で、上向かせるにはという事ではあるが、制作のシステムである製作委員会方式の撤廃や国による資金投入などの業界支援によるアニメーターのモチベーション増加。制作環境の改善(週アニメの本数を減らしてクオリティを保護したり、給料と人員を増やして一人に掛かる負担を減らす)などが挙げられるだろう。

なにせ今のアニメーター業界、超絶と言ってもいいくらいのレベルでブラックなのだ。

最近もPAで自殺者が出ているのは業界を見ているオタク諸兄なら周知の事実。

こんな過酷極まりない環境下で良いコンテンツが出来るか?と問いたい。
答えは否である。

今一度コンテンツの制作者並びに消費者諸君にはなぜこういう状態になっているのか自分の胸に手を当てて考えてもらいたいものである。